日記|模倣と創造の間



日曜の朝、Eテレを見ていたら、安西水丸の特集番組が放送されていた。

僕は、安西水丸がどういう絵を描いていた人なのかよく知らず、以前Free&EasyでRedwingのワークオックスフォードを紹介していた人としてしか知らなかった。
だから、村上春樹の小説の表紙を描いていただとかも知らない。
村上春樹の小説も世界の終わりとナントカナントカの数ページを読んだことしかない。

だから、ああこの絵がそうだったのかとそのとき初めて知った。
いわゆるヘタウマの元祖というような紹介がされていて、これなら描けそうだなと思わないでもなかったが、そうカンタンではないのは、明らか。

オリジナル。

普段からとにかくスケッチしていて、絵に切り取る風景の着眼点も独特。

そういう日常によって、オリジナルが生まれたんだろう。

その影響を受けた僕が絵を描こうとしたら、今まで見たいわゆる上手い絵であったり、安西水丸の絵であったり、そういったオリジナルの影響を受け、そういう風に描こうとしてしまう。

それはきっと絵だけではなくて、音楽であったり、下手すればこのブログの文章も、誰かの影響を受けているのかもしれない。

誰々風になってしまう。

誰々風なのか、誰に影響を受けたのか。
それらがわかってしまうと、なんだか白けてしまう。



これは、うちの子供の絵。
僕と妻と自分だそうだ。
3歳にしてはよく描けているというのは欲目だろうか。

自分の子供に限らず、子供、特に小さな子供の描く絵が、見た人の心に温かいものを残すのは、ヘタウマとかではなく、ただ見たままを自分が描けるように描くからで、そこにどういう風に描こうとか、こういう風に描こうとかの考えがないからなんじゃないか。

(だから、次第に漫画の絵とかに影響され始めると、その輝きは薄れてくる。)


安西水丸の絵も同じなんだろう。
どういう風に描こうとしているのではなく、描けるように見たまま描いているから。

大してよく知らないけど、そう思った。
それにしても、この人、調べれば調べるほど、肩に力が入ってない感じでオシャレだなあと思う。
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