プレゼントをもらうのは、いくつになってもうれしい|日記

それはそこに気持ちがあるから。

男が自分の持ち物、特に思い入れがあるジャンルのものを選ぶ際には、品質、そのメーカー、製品の歴史など、フンガーと鼻息荒く選びます。
そうして使う中で、やはりなとそのモノの品質、歴史の実感を得ることで喜びを感じるわけです。

そして、使うことで喜びを感じるもののもう一つが誰かからのプレゼント。
家族からの誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、父の日、母の日などなど、プレゼントをもらう機会は意外と多いです。
今回は、このプレゼントについて。

服であれば、色・柄など、自分のパーソナルカラーのようなものもある程度決まっています。
ピンク?僕にはありえないね、僕といえばネイビー!というような。
しかし、恋人、友達、家族からのプレゼントは、その辺のコダワリはあまり関係なく、歴史も品質も何もわからないまったく知らない物が来ることもあります。
なんだ、とがっかりすることや、これはどうなんだとなることもあるかもしれませんが、新たな知見を得る機会かもしれません。

例えば、上の画像のネクタイ。
どちらも先日、僕の誕生日に妻から誕生日プレゼントとしてもらったのですが、僕が自分で選ぶとしたら、後ろのネイビーにシルバーのもの。
自分だったらまず手前の黄色×ネイビーのものは選びません。
しかし、締めてみると意外とよく、黄色もありだね、と。

自分の姿は鏡などに反射する形でしか見ることが出来ません。
鏡の前だと、つい自然と姿勢を正し、眉はキリッと、男前顔を作っています。
ふだんの気の抜けた、飾っていない、外行きではないぼけっとした自分、自分の知らない自分の姿を一番見てくれているのは家族です。
良くも悪くも。
その家族が選ぶのだから、どこか自分の知らない自分にフィットするんでしょうね。

また、昨年、妻からもらったREGAL STANDARDSのダーティバックスみたいなネイビーのスウェード靴。
→Reboot カテゴリ「REGAL STANDARDS 58FR」

もらったときは正直、なんだグッドイヤーウェルト製法じゃなくて、前マッケイ後ろセメントか、なんかオシャレな感じだし、この靴履くかな?と思ったのですが、履いてみると歩きやすく、合わせやすく、靴の良し悪しは、製法だとか素材だとか、そんなところにはないなと自分の中にあったコリコリに凝り固まった靴へのコダワリを少し壊してくれました。

そうした新たな知見を得られるというのもありますが、プレゼントの何が一番喜びを感じるか。

その人が自分には何がいいか、何が似合うか、何が喜ぶかを考えて、予算の範囲内で最高に自分が喜びそうだというものを選んでくれたこと、その気持ちと時間がうれしい。
そういえば昔、編み物が趣味だった母がセーターやマフラーを編んでくれましたが、そうした手作りの品なんて一流ブランドに匹敵するくらいの品だと思います。
気持ちがこもり過ぎていて、着ると追加効果やステータス向上しそうなくらい。
そのセーターを先日、実家に行った際にサルベージしようと探したら、洗ったらせんべいのようにカッチカチになったので捨てたと言われ、今さらながらもっと着ればよかったと後悔しています。

予算が潤沢になくて、高いものが買えないとしても、その中で最高に喜びそうなものを選ぶ。
プレゼントの基本ですが、その基本がうれしい。
子供の頃なんて、目が覚めたら愛されていたというくらいに気持ちを受けて元気に育っていたのでぜんぜん気が付きませんが、うらぶれた中年にもなるとそうした気持ちを受けることもすっかり減り、ひとつひとつの気持ちがやけに心にしみるのかもしれません。

だからなのか、モノとしての価値、歴史などを実感するのも楽しいですが、誰かからの気持ちがこめられたモノを使う喜びもまた同じくらいに楽しいです。

なので、僕も誰かにプレゼントを送るときは、もちろんありったけの乏しい知識も動員しますが、何よりも気持ちをこめて選んで送りたいと思います。
僕も手編みのセーターを、いや僕ああいう同じ模様が並んでいるのをじっと見ていると自然と立体視してめまいがしてしまうのでダメでした。

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